恋愛のスイッチ。
彼は結婚して18年。
互いの現状と希望が合致したという感じ。
私もいずれは帰国するので、今の生活に少し色がつけばいいという考えだった。
賛否両論あり、自分がまさか両側共の立場を経験するとは思ってもいなかったが、今では一つ一つ事情が違い、その中で賛否が違うという考えだ。
あれから2週間、週末の1日を一緒に過ごしたり、平日に軽くお酒を飲んだり。
私のこれまでの恋愛も素敵な思い出は沢山あるが、日本人以外と恋愛をするのは初めてだった。
彼の仕草、言葉、風景が全て様になり、まるで自分も映画の主人公のような気分になっていた。
出会って1ヶ月、木々が色づき始め、歴史ある街並みがこれまでとは違って見えた。
恋愛とは、脳が正常ではない状態というが、自分にも周りにも夫にまで(笑)優しくなり、感謝までできた。
ある週末、私たちは初めての小旅行に出かけた。
有名なワインの産地でもあり、ゆったりとした大きな河が流れ、収穫を終えた葡萄畑が一面黄金色に染まっていた。
観光地は避け、ワイナリーに隣接したオーナーが経営するペンションのようなホテルで過ごした。
ワイン畑でボトルとグラスを持って転がり、ありのままの感情を吐き出し、泣いたり笑ったり。
ここが私たちの原点になり、この後何度も訪れるようになるとは。
思い出深い場所、今でも風の感じや石畳の坂を歩く感じは、鮮明に、さっきまでいた様に思い出せる。
思いがけない出会い。
オープンマリッジを宣言してから、いわゆる大人の時間を夫とシェアした。
私も予定があれば、夜出かける時には夫が家に居るという暗黙の了解。
その日、現地の外国人(現地の人からすれば私たちが外国人だが)と結婚した友達が、踊りに行こう!と誘ってくれた。
ヨーロッパの主要都市の人気のあるクラブは、日本とは違い大人の遊び、紳士的という印象だ。もちろん中心から外れた場所にはちょっと怪しい、タバコではない物の妙な匂い、下手すれば見えるところで何やら鼻から吸った様子で鼻を拭う人を見かけるほど危ない場所もある。
その日は金曜日。金融街にあるクラブだからか、スーツを着た人も多く、音楽もジャズとクラブ音楽が融合していて大人の遊び場という雰囲気だった。
私はお酒が強い方ではないので、当時流行っていたモヒートを2杯でちょうど良い心地になれる。
夜の23時、レストランが閉まり。バーやクラブに人が流れてかなり混み始めていた。
友達と、あともう一つ飲んだら帰ろうと、ビールを片手に踊っていたら、友達の旦那さんが紺のスーツを着た彼に話しかけられた。
何を話しているのか音楽で聞こえないけれど、私をチラチラ見ていたのでなんとなく察した。
彼と友達が私のところへきて、「彼はベンジャミン。一杯どうですか?と言ってる。OK?」
と言った後、私は彼と握手をして挨拶をした。
私は彼と少し静かな2階のバーで、男女が出会って話す会話をした後フロアで踊っていた。
しばらくすると、友達夫婦が「もう帰るけどどうする?」と声をかけてくれたが、
彼が友達の旦那さんに、名刺を渡し「もう少ししたら僕がちゃんとタクシーで送るから、心配しないで。」と。
私も友達に「大丈夫、大人だから(笑)送ってもらうわ」といい彼としばらく踊っていた。
午前1時くらいだっただろうか、そろそろ帰るわと私がいうと、タクシーを2台つかまえてくれた。今日の彼の紳士的な振る舞いと、知り合って数時間の彼に家を知られるには早いという不安をもあっさりと紳士的に察してくれた。
帰りのタクシーの中、メッセージが届き「楽しかった。ありがとう。もしよかったら明日の午後お茶しませんか?」と。
私は夜のクラブでの出会いはその場限りと思っていたので意外だった。
土曜日の午後。街は昨日の世界とは打って変わり、ファミリーがショッピングに繰り出していた。
私たちは街の中心で待ち合わせをして、歩きながら昨日のことを振り返り、昼の顔を互いに見せながら、川沿いの景色のいいレストランで数時間過ごした。
オープンマリッジ。
人生の伴侶とは。そう言える様になるには。
それぞれの性格?特性?それともソウルメイトと互いに感じる相手に出会えるかどうか?
私が生まれる半世紀前は、お見合いが主流で初めて会った人と結婚をし半世紀以上共に生きてきたと話すお年寄りの話をちらほら聞く。
それには、世間体が大きく影響していると思うけど、互いに生きていく上で必要な存在だからか。現代のように、必要なものは当たり前に手に入り、必要最低限以上のものを求めるがゆえ選択できることが多く、本人のモラルや性格で人生が大きく変わってしまうのか。
考え出したらキリがないけれど、相手が起こしたことがきっかけにはなったが、全て自分の思考、選択だ。
私が出した選択肢の一つ、オープンマリッジ。
日本ではあまり口にはしない、してはいけない、実質そんな結婚生活だけど葛藤しながら生きている人は沢山いるけれど、いろんな理由であえてそうだと決めない。
日本人の特性はいろんな言い方があるけれど、一言で言えば良い意味でも悪い意味でも謙虚。
その謙虚さには蓋を開けてみれば、いろんな渦が巻いていてそれがストレスというのだろう。
当時は分からなかったけれど、海外の恋愛事情、結婚事情を知った今でこそ思う。
私は日本人の、もしくは日本でしか生きていない男性は合わないのだ。
夢から覚めた時。
夢のようなクルーズ旅行が終わり、またいつもの生活が始まる。
そのいつもの生活、毎日幸せと感謝を感じていた生活がそこにはもうなくなっていた。
どうしたら元に戻るか、毎日これまでと同じことをして過ごしながらそう考えていた。
子供の手前、ぶちまけることもできず、なんとなく夫との接触を避けていた。そうすれば、自然と元に戻るんじゃないか、時間が癒してくれるんじゃないか、そう思い子供の前では夫とも普通に楽しく会話もできていた。
そんな時、夫の日本出張が入った。以前なら日本でしか買えない物のリストを作りそれを買ってきてもらう。そんな小さな楽しみだけで、そのほかはなんの考えもなかった。
が今回は違った。嫉妬というには何か違う気がする、一つの家庭を二人で纏めていた、そんな互いの信頼が崩れて、ただの同居人と私と子供、という感覚。
日本で例の相手と楽しい時を過ごすんだろう、と思うと私の中で、夫との将来はこうなるだろうという予想図が浮かんでこなくなっていた。
一度目の浮気発覚の時のようなエネルギーは湧いてこなかった。
好きにすればいいい。そう思っていた。
出張の間、一緒にクルーズへ行ったママ友も心配して、互いに子供達と一緒に泊まり合ったり、朝まで話をしたり、私の気持ちが前に向き始めていた。
夫が出張から帰宅。
その夜、あれ以来初めて、夫だけに話を持ちかけた。
「私が決めた選択肢は二つ。離婚して私と子供は日本へ帰るか。子供が大学を卒業するまで離婚せず、お互いのプライベートには干渉しない、あなたは今のまま続ければいい、今後私にパートナーが出来ても将来離婚した時の離婚理由にしないということを約束するか。」
私はどちらでも良かった。夫がどちらを選んでも悲しくもなく、ただ、離れて暮らすとなると子供の気持ちを考えると、こんな思いをさせて申し訳ない、と胸が苦しくなった。
夫は夫自身もそうかもしれないが、私の気持ちがもう元には戻らず、完全に離れているし修復も不可能だと察していたようで、二つ目の選択肢、離婚はしないが互いのプライベートは干渉しないことを選んだ。
まさかのクルーズ旅行中、浮気発覚。
毎日幸せをかみ締めていた。
お迎え後の公園遊び、夫のワイシャツにアイロンをかけながら窓から見える緑の景色と小鳥のさえずり。全てに感謝していた。
現地ママ友たちとその家族でクルーズ旅行を計画していた。
ベニスから出発し、地中海、エーゲ海を周遊する船旅。
各家族、乗船後合流ということで、私たちは1日早くベニスに入り観光した。
後から思い返すと、その時からやたら写真を撮っては携帯を触っている夫に「景色を見たら?」と皮肉を言ったのを覚えている。
翌日、ママ友ファミリー達と合流。夫たちも普段から交流があり、子供達のはしゃぎ様と同じく、大人達もウェルカムシャンパンで乾杯した。
乗船当日の夕食はフォーマルディナーで、女性はほぼカクテルドレス、男性と子供も正装と決まっていた。
全10日間の船旅には、毎日ディナーにテーマが決められており、寄港地各国の料理が提供される。初日と最終日はフォーマルだったのだ。
思い返すと、この初日のディナーで、今後の人生が大きく変わるきっかけになったと言っても間違いではない。
テーブルに着くと、私たち一同横並びで皆の顔が見渡せた。
みんな正装して程よい緊張感の中、楽しみにしていた船旅のスタートに高揚していた。
そんな中、相変わらず携帯を頻繁に使っている夫に、笑顔の下で目が笑っていなかった私だったと思う。ワインをボトルで頼み、夫が端に居たためテイスティングをするはずが、注いでいる間も携帯を触り、私の中で音を立てて何かが切れた。
「〇〇、はいその携帯没収します。いい加減にして」
楽しい雰囲気を壊さないように、若干冗談のように軽い口調で言ったつもりだが、夫の凍りついた顔を見た瞬間、私も、仲の良いママ友も、女の勘で「はい、クロですね」と心の声が重なった。
今となっては彼女達はママ友の域を超え、なんでも言える関係になっているからか、「伝説に残るクルーズ」とか「ある意味旅行だけじゃなく楽しめた」とか、私もネタに使うくらいだ。
そこからいうまでもなく、若干お酒が入り、カクテルドレスを着たママではなくなった女たちは結束し、23時、ラウンジのバーに集合。ああだこうだ言いながら、結局パンドラの箱を開けた。ちなみにロックナンバーは子供の誕生日で二回目のロック解除で開いてしまった。
感想としては、初々しい時々生々しい、一年未満という感じ。
私の感情は、感謝していた気持ちを全部消去したいという悔し泣きと、楽しみにしていたこのクルーズがお先真っ暗になったという近視眼的な感情だった。
このことがきっかけで、女友達のアドバイスもありこのクルーズを満喫すると決めた私は、
寄港地で躊躇することなく買い物をし、友達は「船を降りた時と乗る時の格好が全身変わってるw」と未だに笑ネタの荒れ様を繰り広げた。
渡欧。
渡欧の準備と新境地での期待もあってか、あんな出来事があったのに家族の間にいい雰囲気が流れていた。
夫が先に発ち、三ヶ月後に私たちも。その間、語学を勉強したり充実していた。
渡欧当日、一時帰国した夫とともに家族や友人に見送られ、新しい土地でのスタートを切った。
しばらくは、分からないことだらけで順応するのが大変だったけど、数ヶ月すると子供を学校へ送った後は、新しくできた現地の友人たちと語学やダンス、料理教室など毎日が充実してとても楽しかった。
夫もお国柄、残業もなく夕方明るいうちには帰宅。広い庭には日本では絶対需要がないほどの大きなトランポリンがあったため、ご近所の子供達が集まり、その親たちと共にBBQをしながらお酒を飲むというのが常だった。
週末には車で行ける範囲でお隣の国へ週末旅行。
日本では考えられないこの生活が、こちらでは普通。日々を健康に楽しく、休暇を優雅に過ごす為に皆働いている。仕事も結果を出して終わっていれば、上司を気にして定時まで仕事をしているふり、忙しそうにしているふりをする必要はない。他人の目を気にせず、いかに自分の仕事が効率よくうまく回るか。それがその人の能力という考え。
とてもシンプルで余計なストレスがなく全ては自分次第。
私はビザの関係で仕事ができなかったけれど、同じ仕事をして生きていくならこの国がいいと、子供にも将来この国で就職できれば安泰だと思うほどだった。
まさに充実と幸せを絵に描いたような。あんなことがあったけれど、すんなり水に流せ、この機会を与えてくれた上司はもちろん、夫にも感謝できるようになっていた。
浮気発覚。
渡欧を半年後に控えたある日、彼の浮気が発覚した。
決定的だったので、問立てる必要もなく彼は全てを打ち明けた。
相手は、会社絡みで知っている人間。結婚の経過も出産も知っている。
どういうつもりだったのか話を聞いてみようと、本人の携帯に電話をしてみた。不貞腐れた顔が目に浮かぶ声のトーン、この状況でそんな応対ができるなんて、よっぽど、、まぁいい。
呆れていたら、すぐさま彼の携帯に着信があった。すごい度胸だ。
電話から漏れ聞こえる声で何を言ってるのか大体分かった。怒りを通り越して、電話をもぎ取り、「まず、あなたが言うべきことは、ごめんなさいでしょう?言えないの?」
数日経ったある日、なぜか私の携帯に彼女の母から電話が入った。
折り返すと、「最初はおたくのご主人が誘った」から始まり、、
要は相手が気にしていることは、私が会社の関係者に言わないかどうか。お互いに良いことはないとも言っていた。百も承知だけども。
しかし私は、母子揃って「すみませんでした」の一言もないことに気が収まらず、相手の母が言った「お金を払う用意はあります」に、個人間ではなく調停で決着をつけ、頂戴したお金は全て美容に注ぎ、自分の中怒りを消化した。